人権擁護法案に反対署名してきた
法案反対の署名してきました。
政治に関わるようなことって、選挙に行くくらいしかしないんだけど、なんかね、ちょっと嫌な気分になったので。
今の時代が、いつまでも「戦後」であって欲しいと、私は思います。私が死んだ後にでも、後世の誰かに「戦前の日本は〜」と語られるような時代区分になっていないことを心から望んでいます。
この法案が通ったとき、「戦前時代」へ突入してしまいそうな気がしてならないのです。言論統制は、そこへの一歩に感じられるので……。
情報はいろいろあるけれど、まとめてあって詳しそうなのはこちらです。
http://wiki.livedoor.jp/pinhu365/d/FrontPage
私の祖父は、職業軍人でした。そして、東南アジア戦線で戦った人でした。
シンガポールに居たとき、そんな人の血をひいている自分が恐ろしくて恥ずかしくて、何故祖父は戦争に反対しなかったのだろう……ということをよく考えました。シンガポールの海を血で染めた大虐殺が行なわれたことを記す博物館の展示物の前に立ったときにも、そう思いました。
そこへは、シンガポール人が訪れて「忘れちゃならん」と子どもに教えていたりしました。心の中で「ごめんね、こういう人たちの子孫なんだ、私は」って思いながら、でもそれを口に出すことなんてできなかった。
当時中学生だったけれど、もし今同じ状況にあっても、やっぱり何も言えないと思います。
祖父が「海軍の敵は艦であり、海上に投げ出された敵国兵士は助けるものだ」という信念をもち、実際に助けていたことを知って、自分の命を恥じなくて良いと思えるようになるまで、長い時間がかかりました(捕虜となった彼らがその後過酷な労働を強いられたこと等は別の問題として)。
戦前の東北の小さな農村に生まれた農家の三男坊にとって、軍人になる以外の道は当時無かったのだろうと想像できるようになるまでも、やっぱり時間がかかりました。つまり、「人殺しがしたかった男の子孫である」と自分の血を疎ましく思わずにすむまでにも、ということですね。
祖父の時代はいくつもの戦争に挟まれていた時期で、いつでも「戦前」であり「戦後」でした。本当の「戦後」になったのは、第二次世界大戦が終わって帰国した祖父が、信じていた何もかもを失って、二ヶ月寝込んだあとに始まったのだと思います。体の問題ではなく、心の問題で、立ち上がって来られなかったと聞きました。
大東亜共栄圏という思想が嘘(あるいは建前にすぎないもの)であったことを、今の私は知っています。けれど、その時代の渦中にいた祖父にとって、それが金科玉条のような、支えであったらしいのでした。
今の私の金科玉条は「日本では好きなことを好きなように言うことができる」ということです。もちろん、誹謗中傷を行なってはならないし、殺人示唆などの行為もしてはなりません。しかし、それでも最低限度のレベルの縛りにすぎません。
その縛りをキツくしたくない。してはいけない。
だから、署名してきたのです。
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- 人権擁護法案に反対署名してきた(2008.03.04)
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